我が国の古代における成人式は、大体中国の例に習い、元服をもって、成人になったことを認めていたのであります。
 元服の元とは、首の意であり、服とは着用することで、首に冠を着ける。すなわち、大人の衣冠を着ける儀式のことであります。「冠とは礼の始め也」といい、四大礼、すなわち、人生における大きな冠婚葬祭の四つの行事の最初の“冠”に当たるのであります。

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 本来成人とは“ひととなる”ことであり、論語では、“学徳兼備の完全な人物”を指しています。しかし現在の成人式は、一応心身共に発達し、完全な行為、思考能力を有するに至る年齢を満二十歳と定め、この日を期し社会の一員となることを祝う“国民の祝日”として行われているのであります。
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 「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(曾谷入道殿御返事・新編794ページ)と説かれているように、煩悩や欲望、悩みの多い凡心の赴くままでなく、その凡心を自然に正しく発揚し、正しく赴かせるところの、いわゆる心の師となる方法を知らなければならないのであります。
 大聖人の御本尊こそ唯一無二にして、あらゆる人生の師であり、一切の指導原理の根本であります。  御本尊に向かって、南無妙法蓮華経と唱え、信心修行してゆくことによって、しらずしらずのうちに、立派な妙法の大人格的境界に成長して行くのであります。
 本宗信徒である私たちは、まず寺院に参詣し、成人を迎えたことへの報恩感謝を申し上げるべきであります。 さらに、「一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」(富木殿御書・新編1169ページ)の御金言を心肝に染め、生涯御本尊を受持し、広宣流布の人材として、更にまた、立派な社会人として成長することを御祈念するところに、日蓮正宗の信徒としての、まことの成人式の意義があるのであります。

「続 日蓮正宗の行事」より一部抜粋