日蓮正宗 正栄山 妙縁寺
妙縁寺

寺院紹介

妙縁寺

妙縁寺 当妙縁寺は、常在寺、常泉寺とともに「江戸三ケ寺」と呼ばれ、東都において重要な役割を持った由緒ある寺院であり、朝廷との関係が深く公家寺としても知られています。 また、妙縁寺は三祖日目上人の弟子大夫阿闍梨日尊師が1312年に建立した寺院です。日尊師は全国に36ケ寺もの寺院を建立したと伝えられています。この中の1つが妙縁寺で、当初は「妙円寺」と称し、700年の歴史をもちます。 日尊師は晩年京都の六角堂に上行院を建立し、それが要法寺となって教線を拡大してゆきましたが、室町時代から江戸時代初期頃まではなかなか力をもった寺院で、当時は要法寺出身の御法主上人が大石寺に九代も登られたことからもその隆盛のほどが察せられます。

  その中の第十九世日舜上人も要法寺の御出身でしたが、日尊師の興した妙円寺が廃寺同然なっていることを悲しみ、第十七世日精上人の計らいにより、寛永6年(1629年)、江戸中ノ郷(現在地)に妙円寺を復興し、新たに寺号を「正栄山妙縁寺」とされ、それまで大石寺とは本末関係がはっきりしなかったところを正式に大石寺の末寺とし、再興をはたされたのです。 その後、妙縁寺は江戸の三ケ寺の1つとして発展してゆきます。このことは、当山が現御住職の光久日康御尊能化が31代の歴史を数える中、総本山に御法主上人として登られた方が5名いらっしゃることからも拝察されます。 しかし、江戸は火事の多いところで妙縁寺も江戸期から第二次世界大戦の空襲による焼失まで含めると、6回も類廃の憂き目に遭うのです。その都度復興に精根を傾けられた、時の住職と信徒の方々の苦労は察するに余りあります。 新築落慶しかし、このような苦難の歴史も、昭和56年光久諦顕御住職(当時)が総本山妙泉坊より赴任され、昭和62年6月10日には、第六十七世日顕上人猊下をお迎えし、鉄筋コンクリート4階建ての近代的寺院へと一新し、落慶法要を奉修し、現在に至っています。